こんにちは。今はアメリカへ向かう機内です。
思い返すと、ここ数ヶ月は「アメリカへ向かう機内」でブログを書いていることが一番多いような気がします。
理由は・・たとえば仕事(主に資料作成ですね)がひと段落したとき、あるいは疲れて嫌になったときにそのまま書き始められること、あと大きいのは日本にいる時のほうが相対的に印象的な出来事が多くて、自分で「書きたい」と思う気持ちになるのだと思います。
今回は4日間強の滞在と普段より短かった(半分くらい)のですが、時間に追われながら色々と忙しくしながらも、一方で充実したプライベートの時間が過ごせたと思います。そして嬉しいことに、出国する日の朝に一気に空気が冷たくなる瞬間にも立ち会えました(想像したより寒すぎできたけど・・)。
ちなみに次回の帰国は少し長くなりそうで、アメリカの連休(サンクスギビングの週)があるのと、なおかつ久しぶりの休暇になるかも知れません。今から何をしようか考えてしまいますね。どこかへ行って紅葉を見たり、久しぶりにのんびりと温泉なんかに浸かったりしたいのですが、まあそれはそのうち行ければいいと思います。(おそらくずっと東京で過ごします)
さて、今日の本題は「届かない想い」の続きです。
「届かない想い」とは、前々回の更新でLove Letterに挑戦したときのお気に入りの文章です。
書いた当時はイメージが膨らんで、その文章に合う絵を描いてもいいくらいだったのですけど、そんな時間も絵の具もキャンバスも無いので、この移動時間を利用して物語にして書きたいと思います。
(予想していたより長くなってしまったのと、勢いで書いたので話の筋がメチャクチャかも知れません)
--------------------------------
僕はその手紙を書き終えると、便箋をきれいに折りたたみ、何も書いていない真っ白な封筒に入れた。
ふと時計に目を移すと、午前4時を少し過ぎたところだということがわかる。
明日は土曜日。久しぶりに安息の1日が訪れる。そして明日はこれまで僕が過ごしてきた多くの土曜日とは別のことをしたいと思っている。近頃ではちょっとした成り行きで付き合うことになった彼女と休日に会うのも億劫になりつつあるし、彼女以外の女の子と遊んでいてもむしろ僕の中で孤独がどんどん膨らんでいって、ずっと乾き続けていることが分かる。
なので明日はとりあえず何の予定も入れないで1人で過ごそうと決めている。そのほうが楽な気がするのだ。
海に行ってみよう。1週間の労働と睡眠不足で重たくなった頭を枕へ沈み込めたときに、ふとそう思った。
でも朝になれば忘れてしまうかもしれない。次の瞬間には深い眠りに落ちている自分がいる。
珍しくメールの着信音で目を覚ます。時計を見ると10:36とある。休みにしては短い眠りだったが、ベッドから窓の外を眺めると晩春の強い日差しが周辺のビルを照らしている。たまには早起きもいいかもしれないと思う。
目をこすりながらメールを開く。彼女からの連絡だ。
まだ起きていないでしょ?
今日は天気が良いから買い物でも行きたいな。
夏物のワンピースなんかを見に行きたいんだけど、夕方でいいから銀座で待ち合わせない?
メールの書きっぷりも最近ではずいぶん淡白になったものだな、と携帯電話の画面を眺めながら実感する。
とりあえず彼女のことは頭の隅に置いて、いつもより時間をかけてゆっくり身支度をしてから家を出て、古びたフォルクスワーゲンのエンジンに火を点ける。
彼女のメールに返信すべきだろうか?今の自分が彼女に対して何を与えればよいのかが分からなくなってしまっている。
結局そのまま携帯電話を閉じてポケットへしまう。
ワーゲンがゆっくりと前進を始める。行き先は決めていない。ただ海が見たいだけなのだ。
--------------------
あれは去年の5月初旬、福井のはずれにある親戚の家を訪ねたときのことだ。
法事が終わった次の日に、僕は帰京の日を1日遅らせて親戚の家から小旅行へ出かけることにした。
行き先の無い、あての無い旅。ただそのときの僕は1両編成くらいのローカル列車(できれば江ノ電のように観光列車化していないものがいい)に乗り込み、車窓から海を見たかった。
親戚に車で山陰本線の最寄り駅まで送ってもらい(それでも15分もかかった)、さらに誰もいない駅のホームで何もせず20分間待ち、やっとのことで望みどおり1両編成の電車に乗り込んだ。
車窓から流れる風景(そのほとんどは僕が期待した以上だった)を眺めながら、次第にどこかの駅で降りたいという意思が膨らんでくる。よし、次の駅で降りてみよう。
電車が親戚の住む町を出てから、既に1時間半ばかりが経とうとしている。
駅の名前は忘れてしまった。もうこの場所へ来ることが無いと確信していたからだと思う。
山に囲まれて小さな漁港しかない町で、僕は堤防の周辺をぶらぶらと歩いた。これで十分に僕の願望は満たされたのだが、どうしても砂浜のある場所へ行きたくなった。交番で訊くと「西に向かうバスに乗れば20分ばかりで隣町の海岸へ行ける。バスは1時間に1本で次は15分後だから君はついているね」などと丁寧に教えてもらい、僕はそのバスへ乗り込んだ。
もうここがどこで、どこへ向かっているかがどうでも良くなってくる。
ただ僕は砂浜が見たくて、バスに乗ってこののどか過ぎる道をゆっくりと西に向かっている。それだけ分かれば良いような気がしてくる。
どれくらい進んだのだろうか。途中から時計を見ることを止めてしまったので、どのくらいの時間が経ったかも良く分からない。バスが暗くて細いトンネルを抜けると、誰もが目を奪われるように美しい、こじんまりとした砂浜が目に入った。
これだ、こんな場所を僕は求めていたんだ。
僕はそれを確信して、バスの運転手にここで降ろして欲しいとお願いをする。乗客は僕を含めて3人しかいなかったためにそれほど迷惑にはならないだろう。
運転手は「ここでおろしても問題ないですが、一番近いバス停まで歩いて30分はかかります。それにバス停へ向かう道中は登り坂が続くけど、それでも降りますか?」というようなことを言う。僕は「いいんです。この場所で降りたいんです」と答える。
怪訝そうな顔をしながら運転手がドアを開ける。僕は進んできた道を少しだけ戻るように歩き、その砂浜を目指す。10分くらいで砂浜にたどり着く。まさに想像以上の景色に僕は絶句して、しばらくそこへ立ち止まる。体中が金縛りにあったように動けない。その状態がしばらく続く。
全身の感覚が徐々に回復すると、僕は裸足になり砂浜をゆっくりと歩き出す。
砂浜の一番奥に、この場所に似つかわしくない洒落た小ぶりのコテージのような真っ白い建物がある。幾つかある窓からは、カーテンが風に揺られて出たり入ったりを繰り返している。ずっと眺めていると、1階の窓の奥で何かが動く様子が分かる。僕は引き寄せられるようにその建物へ歩いていく。大きく開かれた窓の中を眺めると、1人の女の子が大きなキャンバスに向かって抽象画のような色のかたまりを描いている。僕にはその模様が何を意味するのか理解できなかったのだけど、何かに圧倒されたように目を奪われて窓の外に立ったまま呆然と立ち尽くしてしまう。
じきにその子は誰か自分以外の生き物が近くにいることに気づいて振り向く。次の瞬間には僕と目が合う。
年は20代前半くらいだろうか。その子を構成する部分の一つ一つにどこか浮遊感があって、現実世界に存在する人間でないようなオーラがある(実物を見たわけではないのだが、天使とか妖精とか、そういう存在に近いと思う)。僕は心臓に細い針が刺さったような感覚を覚えると同時に、一瞬で彼女に心を惹かれていることを確信する。
不健康とは行かないまでも十分にやせていて全身がすらりと細くて、肌の色は少しだけ青白く見えるくらい透き通っている。背はそこまで高くないのだけど顔が小さいので、ヨーロッパあたりで作られた美しい人形のような姿をしている。服装は薄い生地で出来た薄い黄色のワンピースに同じく薄い生地の大きなストールを纏っている。髪の毛は胸の辺りまで伸びて茶色く染まっていて、それら全てが海から吹く風に揺られて舞い上がっている。
僕は胸の鼓動を抑えながら慎重に発言する。
「ごめん、あらかじめことわっておけば良かった。決して怪しい者じゃないから」
そう言ってゆっくりと振り向いて立ち去ろうとする。しかし後ろから声が聞こえたので振り向く。
「んーん、気にしてないから。ところであなた、絵は描ける?」
「いや、描けるといっても学校の授業で描いていた程度だから、君のようにはできっこないよ」
「でもやってみれば?興味があるんでしょう?わたしだって適当にやってるだけだもん」
絵なんかまともに描けるかどうかも良く分からないし、頭の中は先ほどからほぼ真っ白になってしまっている。
でも僕の心は、その部屋の中に入って彼女に少しでも近づけることを願っている。心の声が僕を前進させる。
「じゃあ少しだけお邪魔させてもらっていいかな?」
始めはとても慎重に、彼女の描くイメージの全体像を壊さないように筆を伸ばす。
彼女は興味深そうにその様子を眺めている。
次に彼女はそこにある一番太い絵筆にたっぷりと薄紫色の絵の具を付けて、僕の描いた部分を上から多いかぶせるように塗りつぶしてしまう。僕のほうへ振り向くと、いじらしい顔をして「感覚が大事なの」と彼女は言う。
次第に僕もわけがわからなくなるくらいに、その色彩と海風が綺麗に入り混じる世界に入り込んでいく。今ではそこらじゅうの色を拾い上げてキャンバスの色を染めている。途中から自分のセンスや絵の上手さ、色彩感覚なんてものはどうでもよくなってくる。
僕と彼女はただ、深くて濃密な色の海の奥に沈みこんでいく。そしてその中で僕たちは温かい海風に包まれている。
昼が終わり、あたりが暗くなっていく頃にキャンバスは色でいっぱいになっている。
僕たちは疲れ果ててその部屋の中に座り込む。
出来上がった作品について感想を交わしながら、僕たちはいつまでもそこで会話が続けられるような気がしてくる。
でも本当は僕の手は彼女の髪の毛に触れることを求めているし、もっと親密な関係になりたいという思いが心の中で次第に大きくなってくる。
一瞬彼女が僕のほうを振り向いたとき、僕はこらえ切れなくなって彼女の頬に向かって手を伸ばしてしまう。
次の瞬間、彼女はすくんと立ち上がり僕の手を取って立ち上がらせる。僕は彼女に嫌がられたかも知れないという不安と、つい彼女に触れようとしたことに対する後悔を感じる。一気に現実に引き戻されたような感覚がある。
そして彼女がぽつりと口を開く。
「今日は楽しかった」
僕は何も言えなくなってしまう。そして彼女はゆっくりと話し始める。
「あなたのことは忘れないで覚えておくね。あなたはここから気が遠くなるくらい離れた場所へ戻っていく人だっていうことを知ってるし、そしてあなたは2度とこの場所を見つけられないと思う」
彼女の言葉には相変わらず現実のものでないような不思議な響きがある。
僕は勇気を出して口を開く。
「君の名前とか連絡先を教えてもらえないかな?たとえば、電話とか、手紙とか・・」
「私の名前や連絡先はあなたには要らない。それを知ってしまうと、多分あなたは現実から逃げることになる。でも」
「でも?」
「もし次に私のことを見つけられたら、あなたとまた同じように時間を過ごせる」
「きっとまたこの場所を見つけたら、僕は君を連れ出せることは出来るだろうか?」
「それは分からない。でもその可能性はゼロじゃないかも知れない」
--------------------
僕はフォルクスワーゲンを横浜方面に進めていたが、それをやめて保土ヶ谷バイパスを北上して東名高速へ向かう。
遠出するための衣類や洗面道具も持っていない。助手席には昨晩書いた手紙だけが置いてある。
この道をずっと、気が遠くなるくらいに西へ進もう。
そうすれば、いずれ彼女のもとにたどり着ける。
思い返すと、ここ数ヶ月は「アメリカへ向かう機内」でブログを書いていることが一番多いような気がします。
理由は・・たとえば仕事(主に資料作成ですね)がひと段落したとき、あるいは疲れて嫌になったときにそのまま書き始められること、あと大きいのは日本にいる時のほうが相対的に印象的な出来事が多くて、自分で「書きたい」と思う気持ちになるのだと思います。
今回は4日間強の滞在と普段より短かった(半分くらい)のですが、時間に追われながら色々と忙しくしながらも、一方で充実したプライベートの時間が過ごせたと思います。そして嬉しいことに、出国する日の朝に一気に空気が冷たくなる瞬間にも立ち会えました(想像したより寒すぎできたけど・・)。
ちなみに次回の帰国は少し長くなりそうで、アメリカの連休(サンクスギビングの週)があるのと、なおかつ久しぶりの休暇になるかも知れません。今から何をしようか考えてしまいますね。どこかへ行って紅葉を見たり、久しぶりにのんびりと温泉なんかに浸かったりしたいのですが、まあそれはそのうち行ければいいと思います。(おそらくずっと東京で過ごします)
さて、今日の本題は「届かない想い」の続きです。
「届かない想い」とは、前々回の更新でLove Letterに挑戦したときのお気に入りの文章です。
書いた当時はイメージが膨らんで、その文章に合う絵を描いてもいいくらいだったのですけど、そんな時間も絵の具もキャンバスも無いので、この移動時間を利用して物語にして書きたいと思います。
(予想していたより長くなってしまったのと、勢いで書いたので話の筋がメチャクチャかも知れません)
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僕はその手紙を書き終えると、便箋をきれいに折りたたみ、何も書いていない真っ白な封筒に入れた。
ふと時計に目を移すと、午前4時を少し過ぎたところだということがわかる。
明日は土曜日。久しぶりに安息の1日が訪れる。そして明日はこれまで僕が過ごしてきた多くの土曜日とは別のことをしたいと思っている。近頃ではちょっとした成り行きで付き合うことになった彼女と休日に会うのも億劫になりつつあるし、彼女以外の女の子と遊んでいてもむしろ僕の中で孤独がどんどん膨らんでいって、ずっと乾き続けていることが分かる。
なので明日はとりあえず何の予定も入れないで1人で過ごそうと決めている。そのほうが楽な気がするのだ。
海に行ってみよう。1週間の労働と睡眠不足で重たくなった頭を枕へ沈み込めたときに、ふとそう思った。
でも朝になれば忘れてしまうかもしれない。次の瞬間には深い眠りに落ちている自分がいる。
珍しくメールの着信音で目を覚ます。時計を見ると10:36とある。休みにしては短い眠りだったが、ベッドから窓の外を眺めると晩春の強い日差しが周辺のビルを照らしている。たまには早起きもいいかもしれないと思う。
目をこすりながらメールを開く。彼女からの連絡だ。
まだ起きていないでしょ?
今日は天気が良いから買い物でも行きたいな。
夏物のワンピースなんかを見に行きたいんだけど、夕方でいいから銀座で待ち合わせない?
メールの書きっぷりも最近ではずいぶん淡白になったものだな、と携帯電話の画面を眺めながら実感する。
とりあえず彼女のことは頭の隅に置いて、いつもより時間をかけてゆっくり身支度をしてから家を出て、古びたフォルクスワーゲンのエンジンに火を点ける。
彼女のメールに返信すべきだろうか?今の自分が彼女に対して何を与えればよいのかが分からなくなってしまっている。
結局そのまま携帯電話を閉じてポケットへしまう。
ワーゲンがゆっくりと前進を始める。行き先は決めていない。ただ海が見たいだけなのだ。
--------------------
あれは去年の5月初旬、福井のはずれにある親戚の家を訪ねたときのことだ。
法事が終わった次の日に、僕は帰京の日を1日遅らせて親戚の家から小旅行へ出かけることにした。
行き先の無い、あての無い旅。ただそのときの僕は1両編成くらいのローカル列車(できれば江ノ電のように観光列車化していないものがいい)に乗り込み、車窓から海を見たかった。
親戚に車で山陰本線の最寄り駅まで送ってもらい(それでも15分もかかった)、さらに誰もいない駅のホームで何もせず20分間待ち、やっとのことで望みどおり1両編成の電車に乗り込んだ。
車窓から流れる風景(そのほとんどは僕が期待した以上だった)を眺めながら、次第にどこかの駅で降りたいという意思が膨らんでくる。よし、次の駅で降りてみよう。
電車が親戚の住む町を出てから、既に1時間半ばかりが経とうとしている。
駅の名前は忘れてしまった。もうこの場所へ来ることが無いと確信していたからだと思う。
山に囲まれて小さな漁港しかない町で、僕は堤防の周辺をぶらぶらと歩いた。これで十分に僕の願望は満たされたのだが、どうしても砂浜のある場所へ行きたくなった。交番で訊くと「西に向かうバスに乗れば20分ばかりで隣町の海岸へ行ける。バスは1時間に1本で次は15分後だから君はついているね」などと丁寧に教えてもらい、僕はそのバスへ乗り込んだ。
もうここがどこで、どこへ向かっているかがどうでも良くなってくる。
ただ僕は砂浜が見たくて、バスに乗ってこののどか過ぎる道をゆっくりと西に向かっている。それだけ分かれば良いような気がしてくる。
どれくらい進んだのだろうか。途中から時計を見ることを止めてしまったので、どのくらいの時間が経ったかも良く分からない。バスが暗くて細いトンネルを抜けると、誰もが目を奪われるように美しい、こじんまりとした砂浜が目に入った。
これだ、こんな場所を僕は求めていたんだ。
僕はそれを確信して、バスの運転手にここで降ろして欲しいとお願いをする。乗客は僕を含めて3人しかいなかったためにそれほど迷惑にはならないだろう。
運転手は「ここでおろしても問題ないですが、一番近いバス停まで歩いて30分はかかります。それにバス停へ向かう道中は登り坂が続くけど、それでも降りますか?」というようなことを言う。僕は「いいんです。この場所で降りたいんです」と答える。
怪訝そうな顔をしながら運転手がドアを開ける。僕は進んできた道を少しだけ戻るように歩き、その砂浜を目指す。10分くらいで砂浜にたどり着く。まさに想像以上の景色に僕は絶句して、しばらくそこへ立ち止まる。体中が金縛りにあったように動けない。その状態がしばらく続く。
全身の感覚が徐々に回復すると、僕は裸足になり砂浜をゆっくりと歩き出す。
砂浜の一番奥に、この場所に似つかわしくない洒落た小ぶりのコテージのような真っ白い建物がある。幾つかある窓からは、カーテンが風に揺られて出たり入ったりを繰り返している。ずっと眺めていると、1階の窓の奥で何かが動く様子が分かる。僕は引き寄せられるようにその建物へ歩いていく。大きく開かれた窓の中を眺めると、1人の女の子が大きなキャンバスに向かって抽象画のような色のかたまりを描いている。僕にはその模様が何を意味するのか理解できなかったのだけど、何かに圧倒されたように目を奪われて窓の外に立ったまま呆然と立ち尽くしてしまう。
じきにその子は誰か自分以外の生き物が近くにいることに気づいて振り向く。次の瞬間には僕と目が合う。
年は20代前半くらいだろうか。その子を構成する部分の一つ一つにどこか浮遊感があって、現実世界に存在する人間でないようなオーラがある(実物を見たわけではないのだが、天使とか妖精とか、そういう存在に近いと思う)。僕は心臓に細い針が刺さったような感覚を覚えると同時に、一瞬で彼女に心を惹かれていることを確信する。
不健康とは行かないまでも十分にやせていて全身がすらりと細くて、肌の色は少しだけ青白く見えるくらい透き通っている。背はそこまで高くないのだけど顔が小さいので、ヨーロッパあたりで作られた美しい人形のような姿をしている。服装は薄い生地で出来た薄い黄色のワンピースに同じく薄い生地の大きなストールを纏っている。髪の毛は胸の辺りまで伸びて茶色く染まっていて、それら全てが海から吹く風に揺られて舞い上がっている。
僕は胸の鼓動を抑えながら慎重に発言する。
「ごめん、あらかじめことわっておけば良かった。決して怪しい者じゃないから」
そう言ってゆっくりと振り向いて立ち去ろうとする。しかし後ろから声が聞こえたので振り向く。
「んーん、気にしてないから。ところであなた、絵は描ける?」
「いや、描けるといっても学校の授業で描いていた程度だから、君のようにはできっこないよ」
「でもやってみれば?興味があるんでしょう?わたしだって適当にやってるだけだもん」
絵なんかまともに描けるかどうかも良く分からないし、頭の中は先ほどからほぼ真っ白になってしまっている。
でも僕の心は、その部屋の中に入って彼女に少しでも近づけることを願っている。心の声が僕を前進させる。
「じゃあ少しだけお邪魔させてもらっていいかな?」
始めはとても慎重に、彼女の描くイメージの全体像を壊さないように筆を伸ばす。
彼女は興味深そうにその様子を眺めている。
次に彼女はそこにある一番太い絵筆にたっぷりと薄紫色の絵の具を付けて、僕の描いた部分を上から多いかぶせるように塗りつぶしてしまう。僕のほうへ振り向くと、いじらしい顔をして「感覚が大事なの」と彼女は言う。
次第に僕もわけがわからなくなるくらいに、その色彩と海風が綺麗に入り混じる世界に入り込んでいく。今ではそこらじゅうの色を拾い上げてキャンバスの色を染めている。途中から自分のセンスや絵の上手さ、色彩感覚なんてものはどうでもよくなってくる。
僕と彼女はただ、深くて濃密な色の海の奥に沈みこんでいく。そしてその中で僕たちは温かい海風に包まれている。
昼が終わり、あたりが暗くなっていく頃にキャンバスは色でいっぱいになっている。
僕たちは疲れ果ててその部屋の中に座り込む。
出来上がった作品について感想を交わしながら、僕たちはいつまでもそこで会話が続けられるような気がしてくる。
でも本当は僕の手は彼女の髪の毛に触れることを求めているし、もっと親密な関係になりたいという思いが心の中で次第に大きくなってくる。
一瞬彼女が僕のほうを振り向いたとき、僕はこらえ切れなくなって彼女の頬に向かって手を伸ばしてしまう。
次の瞬間、彼女はすくんと立ち上がり僕の手を取って立ち上がらせる。僕は彼女に嫌がられたかも知れないという不安と、つい彼女に触れようとしたことに対する後悔を感じる。一気に現実に引き戻されたような感覚がある。
そして彼女がぽつりと口を開く。
「今日は楽しかった」
僕は何も言えなくなってしまう。そして彼女はゆっくりと話し始める。
「あなたのことは忘れないで覚えておくね。あなたはここから気が遠くなるくらい離れた場所へ戻っていく人だっていうことを知ってるし、そしてあなたは2度とこの場所を見つけられないと思う」
彼女の言葉には相変わらず現実のものでないような不思議な響きがある。
僕は勇気を出して口を開く。
「君の名前とか連絡先を教えてもらえないかな?たとえば、電話とか、手紙とか・・」
「私の名前や連絡先はあなたには要らない。それを知ってしまうと、多分あなたは現実から逃げることになる。でも」
「でも?」
「もし次に私のことを見つけられたら、あなたとまた同じように時間を過ごせる」
「きっとまたこの場所を見つけたら、僕は君を連れ出せることは出来るだろうか?」
「それは分からない。でもその可能性はゼロじゃないかも知れない」
--------------------
僕はフォルクスワーゲンを横浜方面に進めていたが、それをやめて保土ヶ谷バイパスを北上して東名高速へ向かう。
遠出するための衣類や洗面道具も持っていない。助手席には昨晩書いた手紙だけが置いてある。
この道をずっと、気が遠くなるくらいに西へ進もう。
そうすれば、いずれ彼女のもとにたどり着ける。
おしまい。


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